休日の昼下がり、亜樹は自宅の台所で、小鍋から立ちのぼる湯気を見つめていた。
刻んだチョコレートを入れたボウルを湯せんにかけ、温度が上がりすぎないよう気をつけながら、ゴムべらでゆっくりと混ぜていくと、固形だった欠片が少しずつ溶け、表面に艶が出てくる。隣には計量を終えた生クリームとバター、刻んだナッツ、小さな金色のトレーが並んでいた。
「まだかな」
誰に聞かせるでもない独り言。思わず口に出した自分に、亜樹は小さく笑った。
恋人の幸平からプロポーズを受けたのは、今年の年明け。亜樹が新卒のころに出会ってから、かれこれ5年の付き合いになる。
婚約後初めてのバレンタイン
婚約以来、心なしか目に映る景色が違って見える。
劇的な変化ではない。ただ、何をするにつけても、気分が弾んだ。
だから、婚約して初めてのバレンタインは、特別な思い出にしたかった。例年のように店で出来上がったものを買うこともできたが、それでは足りない気がして、2月に入ってからは、毎日のように製菓売り場を見て回ったり、チョコレートのレシピを検索したりした。何度も吟味して材料やラッピングにもこだわった。自分の手で最高のプレゼントを用意したかったからだ。
「よし、いい感じ」
型に流し込んだあと、慎重に表面を整えた。
箱詰めを終えるころには、外はもう薄暗くなっていた。リボンの位置を指先で整え、少し離れて全体を見る。
「うん、上出来」
慣れない作業を終えると、ようやく肩の力が抜けた。
◇
バレンタイン当日、待ち合わせ場所に現れた幸平は、いつもの調子で手を振った。
「待った?」
「ううん、今来たとこ」
少し歩いてから、仕事帰りに2人でよく行くイタリアンに入った。お決まりのメニューを注文したあとで、亜樹は持っていた紙袋をそっと渡した。
「はい、これあげる」
「えっ、いいの?」
「バレンタインだからね」
「あっ、そっか。ありがとう。今、開けていい?」
「うん」
ふたを開けた幸平が目を丸くした。
「もしかして手作り?」
「うん。今年はそうしようかなって」
「すごいな。店のやつみたい」
「それは言いすぎ」
亜樹が笑うと、幸平も釣られて笑った。
「いや、ほんとに。丁寧に作ったんだなってわかる」
「まあ、ちゃんと時間かけたからね」
「うれしい。帰ったらすぐ食べるわ」
「また感想、聞かせてね。あ、評価は甘めでお願い」
「わかったよ」
食事を終えた帰り道、亜樹は、先ほどの幸平の顔を思い返しながら家路についた。冬の空気は澄んでいて、遠くのビルのライトまでくっきりと見えた。
