7月24日に金融庁が公表した「資産運用サービスの高度化に向けたプログレスレポート2026」を一読して感じるのは、これまでの行政文書とはひと味違う、現場の息遣いである。
単なる政策メニューの羅列でもなければ、金融機関に点数をつける採点表でもない。商品の組成、運用、販売、資産管理、さらには企業型DCやiDeCoまでを一つのインベストメントチェーンとして捉え、現場に積み重なる細かな事務、収益構造、システム、顧客行動の深層にまで踏み込んでいる。
とりわけ評価したいのは、金融庁の立ち位置の変化だ。
問題を見つけて指摘し、改善を求める。それだけでは、現場はなかなか動かない。今回のレポートから伝わってくるのは、業界内の好事例を丁寧に拾い上げ、見える形にして、改善の糸口を共に探そうとする姿勢である。
ページをめくると、豊富なグラフや業務フロー図、散布図が目に飛び込んでくる。平均値だけを示して終わるのではなく、取組が進んでいる会社と課題を抱える会社との差が、どのような業務運営の違いから生まれているのかを比較し可視化している。
自社の実務と照らし合わせれば、「ここはすぐに見直せるかもしれない」「この取組なら自社にも応用できそうだ」と思える箇所が、きっと見つかるだろう。現場に改善を命じるのではなく、改善の手がかりを手渡す。そこに、このレポートの価値がある。
非競争領域の無駄を削ぎ落とし、プロとしての本業へ
本レポートが浮かび上がらせる課題の一つは、資産運用業務・資産管理業務に残る非競争領域の非効率さである。
運用会社から信託銀行への指図には、いまだにFAXやメールが使われ、個社ごとに異なるデータ形式が交錯している。STP(Straight-Through Processing:事務処理の一貫自動化)には、なお距離がある。
投資信託の計理では、日本特有の二重計算も残る。運用会社と信託銀行がそれぞれ基準価額を算出し、互いに照合する仕組みである。正確性を担保するために築かれた実務ではあるものの、BPO(Business Process Outsourcing:外部専門業者への委託)を活用しても手作業や個別対応が減らず、効率化の効果を十分に引き出せていない。
販売会社やアセットオーナーへのレポーティングも同様だ。提出先ごとに様式を作り直し、紙で出力し、個別の要望に応じる。こうした小さな手間の積み重ねが現場の時間と人材を静かに奪っている。
だが、これらは本来、各社が商品性や運用力を競い合う領域ではない。
データ形式や帳票を標準化し、デジタルでつなぐことができれば、事務負担とオペレーショナルリスクは大きく減らせる。そこで生まれた時間と人材を商品開発や企業調査、運用力の向上、そして顧客への丁寧な情報提供へ振り向ける。それこそが、運用のプロとして本来力を注ぐべき仕事だろう。
もちろん、標準化すればすべてが解決するわけではない。
基準価額の算出責任を誰が負うのか。システム費用をどのように分担するのか。特定のベンダーに依存することで、新たなリスクを抱え込まないか。効率化の先には、必ず責任とガバナンスの問題が待っている。
標準化による効率化と、責任の所在を明確にするガバナンスの強化。この二つを切り離さず、同時に進めることが欠かせない。
DC・iDeCoの持続可能性を揺るがす構造の歪み
また、レポートは、企業型DC・iDeCoに関し、制度を支える事業構造そのものが、すでに持続困難になりつつあるのではないかという根深い問題を指摘している。
企業型DCでは約半数、iDeCoでは約7割の運営管理機関が、DC事業で赤字に陥っている。大手の場合、企業などから受け取る手数料の7~8割が、RK(レコードキーパー、記録関連運営管理機関)への委託手数料に消えていくケースもある。
制度改正への対応やサイバーセキュリティ対策によって、システムコストは膨らみ続ける。その一方で、運営管理機関ごとの個別要望がRKの事務を複雑にし、開発や保守の負担をさらに重くしている。
その結果、加入者に低コストで優れた投資信託を提供したいと考えても、RK手数料との兼ね合いで採算が合わず、取扱いを断念せざるを得ない。加入者のために良い商品を選ぼうとするほど、事業としては苦しくなる。制度の目的から見ても、本末転倒と言わざるを得ない。
しかも、この問題は個社の努力だけでは解決しにくい。
複数のRK間で発生する重複業務、事業者ごとに異なる仕様、利用者が株主でもあるためコスト検証が働きにくい構造など、一社だけでは動かせない課題が幾重にも重なっている。部分最適を積み上げた結果、制度全体が身動きを取りにくくなっている。
今、この構造を変えなければならない理由は明白である。インフレの定着と国民の金融リテラシー向上により、手数料ビジネスの透明性はかつてないほど厳しく問われている。付加価値のない高コスト構造を維持し続ける余裕は、もはやどの金融機関にも残されていない。
必要なのは、運営管理機関、RK、商品提供機関、資産管理機関など関係者が一堂に会し、利害を越えて率直に話し合う場だろう。大手金融機関が呼びかけ、金融庁や厚生労働省もオブザーバーとして加わる。制度、事務、システム、手数料を別々に論じるのではなく、一つの事業構造として見直す。これまでの経緯をいったん脇に置き、加入者にとって何が必要かという原点から、業界の全体最適を描き直す時期に来ているように思う。
データは「売るため」ではなく「選択の質を高めるため」にある
もう一つの大きな焦点が、加入者の商品選択である。
企業型DCでは平均22%、iDeCoでは平均18%の加入者が元本確保型商品のみで運用しているが、その割合は運営管理機関によって一桁台から6割超まで、極めて大きな開きがある。
金融庁は、この差を単なる顧客属性の違いとして片付けなかった。運営管理機関の取組や業務運営にまで踏み込み、何が違いを生んでいるのかを丁寧に分析している。
成果を上げている運営管理機関は、RKから加入者データを取得し、事業主ごとに月次で運用状況を分析している。掛金のファンド配分率や投資教育の満足度などをKPIとして設定し、元本確保型のみの加入者が多い企業や高コスト商品に偏っている企業を特定する。
そのうえで、商品ラインアップの見直しや指定運用方法の提案など、対象を絞った改善策を事業主に働きかけている。全員に同じ情報を一斉に届けるのではなく、課題のある場所を見つけ、必要な人に必要な支援を届ける発想である。
投資教育の手法も変わり始めている。
制度の仕組みを説明するだけではなく、低コストファンドへ変更した場合、数十年後にどの程度のコスト差が生じるのかを具体的な金額で示す。アプリやメールを使い、長期間ログインしていない加入者に個別に働きかける。加入者の行動を責めるのではなく、行動しやすいきっかけをつくる工夫が重ねられている。
大切なのは、元本確保型商品を一律に排除することではない。
加入者がリスクとリターンを理解したうえで、自ら納得して選んでいるのか。運営管理機関がデータを用いて、その選択の質を確認し、必要な支援を届けているのか。問われているのは、その一点である。
データは、商品をより多く売るための道具ではない。顧客がどこで迷い、どこで立ち止まっているのかを知り、より良い選択を支えるために活用すべきだ。
追い風となる政府方針と、私たちが踏み出すべき一歩
今回の金融庁の提言は、政府が掲げる「成長投資を促進するための金融戦略―資産運用立国のアップグレード―」とも強く連動している。
次期年金制度改革に向けては、拠出限度額の見直しや、一定年齢以上の加入者に対する追加拠出枠の検討、ロボアドバイザーなどの活用に関する整理、商品除外時の同意要件である3分の2以上の緩和、指定運用方法の設定促進などが俎上に載る。
どれも、必要性は以前から認識されながら、関係者が多く、制度も複雑であるため、なかなか手をつけられなかった課題である。
当局が実態と課題を可視化し、政府が制度改正の方向とロードマップを示す。実務の現状分析と政策の方向性が、ここまで同じベクトルを向く機会は多くない。制度と現場が嚙み合えば、資産運用サービスを取り巻く景色は大きく変わり得る。
相場の乱高下に一喜一憂し、市場が冷え込めば収益も落ち込む。そうした従来の売り切り型ビジネスから脱却する鍵は、低コスト商品を土台とした長期積立と、その後も続く資産管理・伴走サービスへの転換にある。
それは顧客の資産形成を長く支えるだけではない。金融機関にとっても、一時的な販売収益に過度に依存せず、顧客との関係を積み重ねながら、収益基盤を安定させていく道につながる。
このレポートを単なる読み物で終わらせるのか、それとも自社の変革の契機とするのか。その選択が、今後の金融業界の景色を決めるはずだ。現場の私たちが一歩を踏み出すことで、資産運用サービスは「売る」場所から、顧客を「支え続ける」場所へと生まれ変わる。
