相席で距離が縮まる2人

注文を終えても、三枝子の中にはまだ遠慮が残っていた。向かいの史織はそんな様子を気にするでもなく、窓の外を見ながら冷たい水を一口飲んだ。

「今日は本当に暑いですね。ここまで歩いてきたんですか?」

「ええ。近所なの。でも、この暑さだと少しの距離でもこたえるわね」

「その手だと余計に大変そうです」

史織の視線が、三枝子の右手に向いた。

「昨日、玄関先で転んでね。利き手だから、料理ができなくなっちゃって。それで今日はここまで来たのよ」

「普段はご自分で料理されるんですね」

「1人だから大したものは作らないわよ。冷蔵庫にあるもので済ませるくらい」

「それがすごいんですよ。私も最近、自炊するようになったんですけど、全然うまくいかなくて」

「どんなものを作るの?」

「基本煮物です。ずっと煮てるのに、全然味が染みなくて」

三枝子は思わず身を乗り出した。

「煮続けるより、一度火を止めて冷ましたほうが味は入りやすいのよ」

「え、冷ますんですか?」

「そう。作ってすぐ食べようとすると、案外うまくいかないの」

史織は感心したように何度もうなずいた。

「それ、知りませんでした。じゃあ、毎回肉が固くなるのは何でだと思います?」

「単純に焼きすぎじゃないかしら。生焼けが心配でずっと火を入れてるんでしょう?」

「まさにそれです」

2人で顔を見合わせ、三枝子は思わず笑った。献立の考え方や余った野菜を使い切る方法を答えるたび、史織は「それならできそう」と楽しそうに反応する。

「今度やってみます。冷蔵庫でしなしなになる前に」

そこへ注文した料理が運ばれてきた。三枝子はフォークを左手で持ちながら、史織の料理の失敗談を聞いた。

「この前なんて、カレーに水を入れすぎてスープみたいになっちゃって。慌ててルーを入れたら今度はドロドロ。調整してるうちに、どんどん量が増えちゃって大変でした」

「私も若いころにやったわよ。夫に『炊き出しでもするのか』って聞かれてね」

史織が吹き出し、三枝子も声を立てて笑った。食事が終わるころには、年齢の差などほとんど気にならなくなっていた。店を出る前、三枝子は改めて史織へ頭を下げた。

「史織さん、今日はありがとう。本当に助かったわ」

「私も楽しかったです。料理のこと、いろいろ教えてもらえましたし」

「またね」

「ええ、また」

入口で別れ、三枝子は1人で歩き出した。外にはまだ夏の熱気が残っていたが、昼間より少しだけ風が出ていた。

ケガも、夫のいない静かな家も、家族との距離も何ひとつ変わってはいない。だが、久しぶりに誰かと会話を楽しみ、声を上げて笑っていたことを思うと、自然と胸が温かくなる。昼下がりの風が、深いシワが刻まれた三枝子の頬をそっとなでていった。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。