圧倒的強みを見せる職域領域
目指すは役職員の資産形成戦略
近年、重要度を増しているビジネス戦略の一つが「BtoB」あるいは「BtoC」の次次世代型アプローチと言える「BtoBtoX」だ。ビジネスパートナーを介したサービス提供によって重層的、多角的に顧客基盤を拡大し、生産効率の向上につなげていく。
証券業界トップの野村證券は、今年1月の新NISA開始に照準を定めて、「BtoBtoX」モデルを独自戦略として練り上げてきた。ワークプレイス(職域)をステージとする新たな試みである。その深部には時代の大きな変化に対する認識がある。野村證券営業部門のDCS兼ライフプラン担当執行役員の平野和枝氏は変化の実相をこう語る。
「人的資本経営が奔流化するなかで、企業では従業員への福利厚生の重要度が各段に増してきたことを経営レベルで認識してきています。当社の企業担当セクションの担当者たちが、各社の経営層からこの種のご相談を受ける頻度が増していることからも、実感を強めています」。
同社が目指すのは顧客企業の領域に生じている地殻変動的な変化を踏まえ、役職員の将来的な資産形成に向けた戦略の実行にほかならない。
いまさら言うまでもなく、野村證券は業界トップならではの多面的な強みを有する。例えば企業取引(ホールセール)では主幹事件数の多さでその強さを証明しているが、同時に、各企業の職域でも圧倒的な強さを誇る。その典型は企業が採用している従業員持株会(以下、持株会)制度である。東証の調査統計によると、2023年3月末ベースで上場企業3868社のうち3262社が持株会を導入している。会員数は約303万3000人を数える。
野村h総研が事務受託している持株会の会員数(2023年9月末)は上場・未上場会社合計で193万人。集計の方法が異なるので単純計算しにくいものの、会員数で見る限り、野村證券は持株会マーケットの過半を占めていることになる。ちなみに、後述する確定拠出年金、従来の職場つみたてNISAなど職域での各種サービスの提供数を加えると、2023年12月末で約359万7000件という膨大な数になる。
企業に求められる福利厚生の充実
新NISA開始が成長の後押しに
同社にとって、企業取引はいわば、典型的なBtoBビジネスと言える。これに対して職域ゾーンで発生する取引はBtoCビジネスに近い。対象を従業員(employee)とすることで「BtoC」が「BtoE」となるだけであり、職域ビジネスはこの二つが有機的につながるBtoBtoXモデルの場と位置付けできる。
いまや企業は、人的資本経営の観点から従業員への福利厚生制度の一層の充実が迫られている。そして、ここに必然的に重なったのが2024年1月開始の新NISAに他ならなかった。同制度は今後、企業による従業員への資産形成サポートの充実化をさらに迫るインパクトを秘めているし、野村證券にも職域に端を発した新領域の成長エンジンとなってもおかしくない。
一例をあげよう。野村證券が事務受託している持株会の会員の半数は大会までに同社に証券口座を開設する。そのペースは例年、6~7万件だったが、直近では10万件ペースに切り上がってきている。さらに言えば、最近の株式相場の上昇トレンドもあって、持株会から従業員が同社に開設した証券口座への振替は金額的に年間5000億円程度に達している。これらを個人投資家数、投資金額として見るとどうか。この分厚い職域層が持株会大会というタイミングよりもいち早く、証券口座、NISA口座を開設すれば、同社の個人マーケットは広がっていく。
もっとも、これは野村證券が描くビジョンの一端でしかない。人的資本経営の要請の下で、職域空間に吹き抜け続ける変化の風は何をもたらすのかーー。
資産形成制度の整備と金融教育まで一気通貫でサポート
野村證券は数年前より、近未来の将来ビジョンのデッサンを描き続け、さらに下絵に色を塗りこめる作業を重ねてきた。その一連の作業は2023年度下期には大きな節目に到達し、同年10月には組織の改編に動いた。職域に関連する部署を集約し、統合的、総合的に企業に対して提案できる専担部門、ワークプレイス・ビジネスグループを新たに設置した。この狙いを平野氏は次のように説明する。
「従来、持株会や確定拠出年金などは同じ部門で提案してきましたが、そのような資産形成制度に加えて、金融経済教育の運営サポートから資産形成のアドバイスなどまで一気通貫で対応できるように体制を整えました」。
同社が従来、職域で展開してきたのは持株会制度だけではない。確定拠出年金、その個人型タイプである職場iDeCoから、財形貯蓄制度、ミリオン(インデックスポートフォリオ)などもあるし、さらにはストックオプションなどの株式報酬制度まで、多種多様である。もちろん、従来型の職場つみたてNISAもラインアップをなしてきた。それらの制度・プロダクトと並んで、金融経済教育、資産形成に向けたサポートの提供まで包括したセクションの活動によって、いわば、職域に訪れた新たな時代にワンストップのサービスを提供する役割を担うのがワークプレイス・ビジネスグループというわけである。
同時に、野村證券は職場ビジネスにおいてトータルパッケージ的な業務オペレーションモデルも作り上げた。野村総合研究所と組んでITプラットフォームを構築し金融サービスを企業に提供するとともに、同社が社員を出向させる仕組みである。ITプラットフォームでは、業務支援、金融経済教育のコンテンツ、必要なシステムとその運営などのサービスをデジタルツールで提供し、出向社員は信頼できる身近なお金の専門家として、出向先の各種制度を反映した具体的なコンサルティングや的確なアドバイスを出向先企業の役職員に提供してく。
「出向社員は金融経済教育やライフプランニングができる人材であり、証券分野に止まらず、総合的なリテラシーを備え、出向先企業の役職員の個別性の高い悩みに応えることができるスキルが求められます。企業がインセンティブプランのなかで目指したいエンゲージメントを深く理解し、役職員の個別ニーズをとらえる能力が備わっていることも条件となります」。
平野氏が語る出向人材のイメージは、相当に高いハードルと言っていい。トップ証券ですら、そんな人材には限りがあると思わざるを得ないが、すでに同社は第一号として「若干名」を4月には企業に送り出す予定である。第一号に続く、的確なアドバイスができる素養を身に付けた人材も育成中だ。
「職域のお客さまには金融機関を訪れて相談に乗ってもらいアドバイスを受けたいと思っても、時間的な制約から限界があるという事情も踏まえたものです。これは反省点に立った布石という面もあります」。
来店誘致型と言いながら顧客が来店できる時間帯には営業拠点はしまっているという実情は、証券会社に限らず、金融分野には連綿と解消されずにある。その壁をブレークスルーして、職員空間で人生100年時代に向けた、あるべき資産形成、資産運用のアドバイスを身近で提供するというのは金融分野では過去に類例を見ないアプローチと言える。
新NISAの開始以降、金融業界では取扱商品の売り込み合戦が熱を帯びている。もちろん、それは国民の資産形成に向けた重要な第一歩ではある。そうしたなかで、野村證券は職域に着目した独自戦略を突き進もうとしている。それは地味なようでありながら、実は従来、定年退職のタイミングが近づいた勤労者をターゲットにした「退職金獲得営業」に象徴される川下型ビジネスから脱却し、資産形成層に新NISAを含めた資産形成をすすめていく川上を起点とする総合型の資産管理ビジネスへと劇的なビジネス体質の転換に舵を切った姿のようにも見えてくる。加えて、BtoBtoXモデルが目指す生産効率の向上という側面も見え隠れする。
新NISA元年は、獲得額競争が最大の焦点となっている。しかし、それだけがみどころなのか。米国でかつて、401(k)プランの登場を口火にして、その後、証券リテール革命が始まったように、新NISAを契機に、わが国でも壮大な変革期が証券リテールの領域に訪れておかしくない。野村證券のアプローチはそのための布石に思えてくる。