井藤英樹氏は1988年に東大法学部卒業、同年に大蔵省入省。地銀を所管する金融庁監督局銀行第2課長や、財務省主計局主計官(文部科学係担当)などを歴任しています。
2023年まで例年公表していた「資産運用業高度化プログレスレポート」の作成にも携わり、22年版の作成過程では、複雑な仕組み債に関する批判的な書きぶりについて庁内で慎重論があったものの、井藤氏のGOサインによって(EB債を株式代替として)「購入する意義はほとんどない」との文言のまま公表を決行した経緯があります。仕組み債問題が注目を集める大きな契機となり、結果的にFD原則の一部ルール移行を含む制度改正に向けた機運を生み出しました。
井藤氏を長く知る人物からは「同年代の他の幹部と比べ、上昇志向や野心を表に出すタイプではなく、昇格は意外だ」(元部下)と驚きの声が上がり、「ウィークポイントのないオールラウンダー」「根っこの人柄は温かいが、部下からみると時に『合理的過ぎ』にみえるところもある」(いずれも関係者)といった評判も聞こえます。
長官人事をめぐっては、監督畑の経験が長く、足元で相次ぐ処分案件の対応にあたっている栗田現長官の続投や、監督局長の伊藤豊氏の昇格といった観測もありました。
業界に衝撃を広げた人事の背景には、井藤氏が率いる企画市場局と官邸との関係強化が垣間見えます。NISA拡充を柱とする資産所得倍増プラン、国内企業へのリスクマネー供給策を含む資産運用立国実現プランの具体策を調整する過程で、金融庁内の政策担当部署と官邸との距離はかつてないほど縮まりました。
資産運用立国は「支持率が低迷する岸田政権にとって対外的にアピールしやすい重要な実績」(関係者)といわれ、立国プランのブラシュアップを求心力の向上につなげたい政府の思惑もうかがえます。過去の週刊誌報道などに敏感な官邸メンバーが人事決定力を持っていることもあり、バランス感覚に長けた井藤氏に白羽の矢が立った格好です。
栗田氏や伊藤氏が率いてきた監督局ではこの数年、地銀系証券での仕組債販売をめぐる問題や、ビッグモーターの架空請求問題、大手損保の価格調整問題、メガグループの不適切な顧客情報など、注目度の高い行政処分が相次ぎました。
毅然たる対応に踏み切った両氏の手腕と実績を評価する声がある一方、「これだけ大きな処分が相次ぐと、重大な問題を見落としていた監督局の責任問題に飛び火しかねない」(元金融庁幹部)と懸念する厳しい声もあります。処分実績がアンビバレントに評価されてしまう、監督当局の立ち位置の難しさが露呈した形です。
仕組債問題をめぐって金融庁が業界側に攻勢をかける過程では、総合政策局と監督局の行き違いがたびたび取り沙汰されてきました。複雑な仕組債に一律的な販売抑制を求めてきた総政局側と、顧客ニーズにかんがみて悪質性の度合いによって柔軟な対応をすべきだとする監督局側の温度差が指摘されていました。
今月5日ごろに総合政策局が最終版を公表すると見込まれるFDレポート(「リスク性金融商品の販売会社等による顧客本位の業務運営に関するモニタリング結果」)についても、監督行政の実効性が疑問視されるリスクがある中、外貨建債券や外貨建保険の販売をめぐる課題認識についてどれだけ踏み込んだ記載ぶりとなるかが注目を集めています。
足元では最善利益義務の創設によるFD原則のルール移行などにより、監督局が司る法令上の「ルール」と、総政局・市場局が担う「プリンシプル」との制度的な融合が進められています。ルールとプリンシプルを所掌する部署間の対立・摩擦は解消への期待が高まる一方、井藤氏、油布氏、屋敷氏の昇格により、法令と規範の「ベストミックス」への流れをプリンシプル担当部署が主導する傾向が強まる可能性もありそうです。