金融行政方針の2023事務年度版(以下、行政方針)が8月29日に公表されました(注1)。うち顧客本位の業務運営のモニタリングに関しては、外貨建て一時払い保険(以下、外貨保険)がテーマの1つと示されています。このため、外貨保険の対応について相談を頂くことが増えています。6月末に金融庁を辞した身ですが、官民で感じてきたことや対応の方向性のイメージなどを整理したいと思います。
まず、金融庁は外貨保険の商品性に関して、現時点では強い課題認識を示していません。一方で、運用商品としてはコスト(実質的な手数料)を含めて、投資信託との運用成果の比較を求めています。販売されている主な外貨保険が、運用機能を強調しているからでしょうか。その意味では、商品性にも改善余地があるのかもしれません。
実は、筆者自身、10年以上前(黒田前日本銀行総裁による金融政策変更の前)に、日本銀行退職時に外貨保険に加入しています。金融機関の担当者に広く相談に乗って頂き、幼子を意識した保障を重視しつつ、長い目で見た円安の可能性も意識したものです。幸い、保険事象は発生しませんでしたが、「安心を買う」という観点からは有益な提案でした。一方で、わが豚児(とんじ)も成長し、足元の円安も踏まえて見直しを考えました。ところが、市場価格調整によって解約返戻金は、外貨預金対比では期待したほどではありませんでした。親切で誠実だった担当者が、市場価格調整が受取金へ及ぼす影響の説明をしなかったとは思えません。おそらくは、都合の良い説明だけしか覚えていない筆者の気質によるものでしょう。一般的に言っても人間の認知などその程度のものなのかもしれません。
行政方針における指摘も顧客ニーズの把握や説明が中心です。具体的には以下のとおり整理され、顧客のニーズとの関係で強い問題意識を示しています(注2)。
販売目的
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販売態勢面の課題 |
運用
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リスク・リターン・コスト等に関し、他金融商品との比較説明を未実施 |
保障
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目標到達型保険で、目標到達後に保険を解約させて保障期間を断絶 |
相続
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非課税枠を大きく超える保険金等の額を契約時に設定 |
実際、最近、身近で気になった例もあります。愚妻から、一定の資金の活用について相談を受けた際(注3)、懇意にしている金融機関の担当者に来ていただき同席しました。担当者の質問を通じて、「当面、不要な資金で、将来の備えのためのもの。できれば増やしたい」と整理され、外貨保険が提案されました。担当者はFP1級を保有しているとのことで、ニーズ把握も商品説明も非常に丁寧で筆者にも大変勉強になりました。ところが、2度の意向確認を経た契約の段になって、愚妻の持病を理由に加入不可となってしまいました。足を運んでいた担当の方には申し訳ないと思うと同時に、保険商品でありながら健康状態を真っ先に確認しない手続きには違和感を禁じえませんでした。
念のために申し上げれば、担当者にコンプライアンス面での問題はなかったと理解しています。しかしながら、問い掛けが愚妻の真の意向をくみ取ったものかは些かの疑問も感じました。質疑を通じたニーズ確認のフローチャートは有益でしょう。しかしながら、問いの順序次第では、特定商品の「誘導」になりかねないのではないでしょうか。
金融庁担当官は、個人名の論稿において「高利率といった表面的な顧客ニーズのみに対応し、安定した資産運用をしたいといった真の顧客ニーズや、顧客のリスク許容度を把握・考慮していない販売が認められた」と指摘しています(注4)。コンダクトリスク管理の観点から重要な指摘でしょう。加えて、保険のように属性によって加入条件が異なる商品の提案を用いて、なぜ、顧客の様々な情報を早い段階で「さりげなく」得ないのか営業戦略上、もったいないようにも筆者は思います。
顧客本位の実現には、企業全体の健全なカルチャー組成を通じた、個々の営業員の意識付けが重要でしょう。また、結果的に生じるコンダクト事象を防止するには、コンプライアンス目線ではなく、顧客の立場になった提案になっているか、顧客のためにならない要素が判断に入らないかという観点からは手続きや手順を見直す必要もあります。その上で、(保険に限らず、)売れ筋等のデータ分析を通じて妥当な販売状況かの事後検証も重要でしょう。
この点、顧客本位の業務運営にかかる各金融機関の取組方針をみると、様々な工夫が見て取れます。例えば、外貨保険の目的等について、(運用商品ではなく)保障や相続のためであることや、保険は資産運用を主目的ではないことを明確にする先があります。また、運用目的の場合に比較を行う旨をより明確に誓約する先も増えています。また、加入する全ての保険証券(自社経由分のみならず他社経由分を含む)を登録し顧客の必要性や意向に沿った保障が得られているかを「見える化」する動きが広がっています。さらには、外貨保険と投資信託の運用実績を一定の前提の下で数値として示す動きなどもあります。
こうした工夫は、将来の苦情発生に大きな違いを生じさせるのではないでしょうか。上記論稿によれば、「海外金利の上昇等の影響により、主要行等および地域銀行において、22年度上期の販売額が増加」している一方、外貨保険の増加や割合の程度には違いがあるようです。外貨保険はリスクのある商品であり、記憶力が衰え始めている(と自覚せざるを得ない)筆者はともかく、子供の教育に多くの関心を抱いている資産形成層は、説明内容など忘れてしまう可能性は高いと思います。そうした方々が、含み損が生じた場合に不満を持つことは避けられないでしょう。ただ、担当者の説明姿勢や態度から受ける印象などのエピソード記憶は、意外と残りやすいようです。このため、不満が苦情といった形で明らかになるか否かは、担当者の説明の有無ではなく、傾聴する姿勢によって違ってくるのではないでしょうか。
こうした問題意識のもと、金融機関の第一線の方に対応の方向性を議論させて頂いています。そうした方向性に対して、経営者の中には「金融機関の存続に必要な収益が確保できない」と指摘する方もいるようです。この指摘を受けて、第一線の方は、顧客と上司の間で大変に苦慮されているようです。
ここで疑問に思うのは、「収益が確保できない」の意味です。顧客の苦情や従業員の苦労を省みずに確保したい「収益」とは何でしょうか。自らの任期中の短期的収益に過ぎないのではないでしょうか。また、従業員が負担する様々なコストを控除したボトムラインではなく、トップラインの収益ではないでしょうか。
経営陣が果たすべき責任の範囲は広まっていると筆者は受け止めています。一頃前までは、株主価値の向上の観点を強調するものが多かったと思います。最近は、株主に止まらない様々なステークホルダーを意識した対応が求められています。経営者が確保すべき収益とは、そうした長期的かつ包括的な判断に基づくボトムラインではないでしょうか。担当の方々の苦悶を見るにつけ、経営者の方々が「収益性の確保」という理由の下で何を意識して判断をされているのか、お聞きしたいとも感じます。
翻って、顧客本位の姿勢は長い目で見たときに、収益上も、決して損にはならないのではないでしょうか。残念ながら外貨保険の成約には至りませんでしたが、愚妻は親切に説明してくださった担当者に頼んでNISA口座を開設したようです。低手数料で投信が購入できるネット系証券よりも、「担当者が説明してくれる方が安心だから」ということです。顧客本位と言うと新しく難しいようにも思いますが、古くから言われている「損して得を取れ」ということなのかもしれません。顧客本位を通じて得る顧客の長期的支持こそが、企業存続の必要十分条件ではないでしょうか。
また、従業員のやる気や満足度の維持の観点からも考える点は多そうです。顧客のための意識が強い営業員といえども、(賞与等の金銭的なものだけではなく)承認要求の観点から販売実績を積み上げたいという気が生じるかもしれません。こうしたことを踏まえて、販売実績(フロー)から残高(ストック)へ、定量的な評価基準から定性的なものへと業績評価の手法は変わってきています。他方で、外貨保険と円貨保険の評価を同一にしたところ、説明しやすい円貨ばかり提案するようになってしまったという声も聞きます。従業員が何を動機として働くのか、経営の根幹に立ち返って考える必要もありそうです。
金融庁が示した「『資産所得倍増プラン』を後押しするリテールビジネス戦略」という課題設定について、外貨保険に限らず、金融機関全体で考える必要があるのでしょう。
【著者】信森毅博(のぶもり・たけひろ)
前・金融庁総合政策局リスク分析総括課コンダクト企画室長
現・アクセンチュア株式会社 ビジネス コンサルティング本部
東京大学法学部卒、1991年日本銀行入行。2011年にコンサルタントとなり内部統制やコンプライアンス等の態勢整備などを支援。2020年より金融庁においてコンダクト企画室長として顧客本位の業務運営のモニタリング等に従事。2023年より現職。
(注1)金融庁ホームページ、2023事務年度金融行政方針(令和5年8月29日公表)
(注2)「2023事務年度金融行政方針」コラム40頁参照
(注3)ちなみに愚妻は金融機関勤務の経験はなく素人である。また、資金の源泉や用途など筆者に聞ける余地も、含み損発生時にあり得る「クレーム」に対処できる自信もなく、アドバイスなどはできない!