新NISA好調の背景には物価上昇も
―― 日銀の資金循環統計によると、今年6月末の時点で投資信託の残高が昨年比27%増の128 兆円となりました。また、家計の金融資産に占める投信の割合は過去最高の5.8%まで高まっています。
中島氏
やはりNISA恒久化と抜本拡充のインパクトは甚大でした。分かりやすい制度を設計したことでメディアの扱いが増え、営業の現場の方も勧めやすくなりました。さらに物価上昇の影響もあるでしょう。お金を預貯金としておくだけでは不十分で、積極的に増やしていく必要があるという意識が若年層でも高まってきています。制度 面と経済環境の両方が相まって巨大なうねりになっています。
稲野氏
私が野村證券に入社した40数年前、幹部はよく「いまに個人金融資産がなだれを打って、われわれ証券会社の側へ押し寄せてくるぞ」と語っていました。しかし当時の私は、そうは考えていませんでした。個人営業の経験を積んでいくうち、あまりにサービスメニューが不足していることに気づきました。個別株式と投資信託のみを扱っているだけでは、獲得できる個人金融資産に限りがあります。さまざまな金融サービスや商品を扱えるよう、 業務の自由化を進める必要があったのです。
やがて業務の自由化が進み、金融商品ではMMFやETF、REITなどが導入されていったものの、「貯蓄から投資へ」はなかなか実現しませんでした。私は、誰でも使える身近で便利な投資のための「器」が必要であるという問題意識に行き着きました。
2002年の税制改正では特定口座制度が拡充して投資家の利便性が広がりましたが、それはすでに投資を行っている人の利便性を高めただけであり、 新たに投資を始める方を増やす誘因効果はほとんどありませんでした。
そしてNISAが登場し、「ジュニア NISA」や「つみたてNISA」へと制度が拡充していきました。直近で結実した新NISAは非課税枠の大きさも含め、これ以上のものはないところまで実現していると評価します。
中島氏
思い起こせば、1997年の金融危機の際に「新しい金融の流れに関する懇談会」(通称「流れ懇」)という会議体が当時の大蔵省に設けられ、間接金融だけでなく直接金融も活発にすべきだという議論が行われてきました。しかし、日本株の下落傾向が続き、長らく株式投資の機運が盛り上がることはありませんでした。 そうした時代を経て、アベノミクスの到来によりデフレも少しずつ落ち着いていきました。振り返ると感慨深いものがあります。われわれの目的は「貯蓄から投資へ」そのものではなく、それによって国民の資産所得がきちんと増えることにあります。その実現につなげてほしいと切に思います。
2017年のFD原則は大きな画期
――「貯蓄から投資へ」の実現に向け、 金融商品の販売のあり方も問われてきました。このたびの「最善利益義務」制定にいたる流れでは、2017年に公表された 「顧客本位の業務運営に関する原則(以下、FD原則)」が重要です。
中島氏
最善利益義務は、2000年の 「金融商品の販売等に関する法律(以下、金販法)」を改称した法律に条文を盛り込んでいます。金販法は銀行や保険といった業態を問わず、金融商品を横断的に利用者目線で規定する趣旨で制定されました。
アベノミクスがスタートした2012年末以降、国民の安定的な資産形成を目指すなかで、金融商品を販売する側が顧客に寄り添ったサービスを提供しているのかどうかが問われるようになりました。具体的にはテーマ型投信のような話題性が先行する商品を売って、 値段が下がったら他の商品へ乗り換える回転売買を勧める形で手数料を稼いでいく行為は、個人投資家の資産形成 を阻む要因になっていると問題視されるようになります。法律で規定しても形式的な対応になってしまうため、金融機関がベストプラクティスを競い合うような仕掛けづくりを促す狙いでFD原則を制定しました。これに沿って各金融機関が取り組み方針を公表することで切磋琢磨し、やがて全体の営業のレベルの向上につながっていく展開への期待を込めました。
稲野氏
FD原則は非常に大きな画期でした。全ての金融商品が全ての顧客に等しく適合的であるはずがないにもかかわらず、特定の銘柄、商品を決めた上でそれを一律に推奨していくとい う方法論があったことは事実です。そういったことを改め、それぞれの顧客に応じた形で金融商品やサービスを提供しなければならないという議論を行 政の方々と重ねていくうちに、金融機関側の自助努力だけでは限界があるなかでFD原則が世に出てきました。それが今般の最善利益義務に結びついていると考えると、環境整備の歩みが進んでいます。もちろん販売をめぐる個別のトラブルなどはいまだに絶えないものの、業界全体として見れば少しずつではあっても着実に前進してきています。
最善利益義務の法制化、 業務プロセス見直しの契機に
―― 当局が「最善利益義務」を制定した狙いは。
中島氏
成長と分配の好循環を実現する「新しい資本主義」を掲げた岸田文雄政権が誕生し、金融庁は「資産所得倍増プラン」の一環としてNISAの抜本拡充を担うことになりました。資産倍増を目指す以上は、やはり国民の資 産形成を促すために必要な施策を包括的に見直さなければならないと考えま した。新たなNISAに加え、金融経済 教育推進機構を発足させて国民の金融リテラシーを高める取り組みを進め、 金融機関に対してはFDの徹底を求める法整備に着手することになりました。 多くの金融機関は、すでにFD原則 に基づいた取り組み方針を作成し、それに沿ってきちんと対応されているでしょう。そういうところに対して、さらに何か「屋上、屋を重ねる」ようなマニュアルをつくる意図は全くないと思います。プリンシプルベースでも対応している金融機関は、これまでの取り組みを継続していただければ十分でしょう。
その一方で、「国民の安定的な資産形成」とは言いつつも、従来の原則では企業年金などが射程に入っていなかったり、金融庁の所管する金融機関であってもFD原則への取り組みが不十分なところも散見されたりするという課題も明らかになりました。そこで法律の中に根拠規定を入れることによって FD原則をはっきりさせる趣旨で、最善利益義務を制定したわけです。
法律で義務化したからといって、銀行などに対する当局の対応が急に変わるわけではありません。そもそも最善利益義務や誠実公正義務、FD、適合性原則といった概念は、海外でもともと使われていた言葉を翻訳したものです。日本の金融機関の方からすると 「ちょっとよく分からない」と思われるかもしれません。さまざまな言葉があるにせよ、当局が最終的に目指すところは「顧客本位の業務運営」になると思います。利益を上げてはならないなどとは全く思っていませんが、そこはやはり顧客にとっても利益が出る形で金融機関の側も利益を追求するという考え方を定着させていくべきではないでしょうか。
稲野氏
最善利益義務の制定は、金融事業者の側からするとハードルが一つ上がったと考えています。別の言い方をすれば、金融機関がより高みに上るための契機になるかもしれないということです。
FDは「受託者責任」と訳されるように、もともとは投資判断を一任されるような専門的知見を有する投資顧問業者などに対して求められていたものです。その対象が広がり、銀行や証券の営業に従事する人たちにも大変重い行為規範が課されるようになるというのは大きな変化です。
米国では日本に先立ってレギュレ ーション・ベストインタレストというものが導入された結果、適合性原則に依拠する規制よりも全体として射程が長くなったという印象を持っています。 それは投資家一人ひとりの側から見れば、非常に意味のあることでしょう。 日本はこれからですが、最善の利益とは一体何であるかというテーマを考えること自体が、自分たちの業務プロセ スを考え直すことにつながるでしょう。 最善の利益とは、さまざまなタイプの金融事業者に対して一律のものではなく、ビジネスモデルなどに応じて具体的に個別で判断されるべきものです。 顧客と向き合いながら考えを突きつめていくことに意義があります。
―― 各金融機関には今後ますます顧客に向き合い、真の最善を考えた対応が望まれますね。本日はありがとうございました。