――初めに、オルタナティブデータとは何かについて解説していただけますか。
オルタナティブデータは、これまでの運用において伝統的に使われてきた経済指標や企業の財務情報とは異なったデータを指す言葉です。具体的にはクレジットカードの購入情報などの消費者購買データ、携帯電話のGPS機能から得られる人流データ、人工衛星の画像などが挙げられるでしょう(図1)。
オルタナティブデータとよく似た言葉の「ビッグデータ」とも大きく重なる部分はありますが、データ量が少なくても新たに利用されるものであればオルタナティブデータと呼ばれる点が、両者の違いと言えるでしょう。
もう1つオルタナティブデータの特徴を付け加えるならば、本来の目的とは異なる形で、二次的に収集されたデータであるという点も挙げられます。伝統的なデータは適切な投資判断のために開示される企業の財務情報のように、特定の利用目的のために収集・開示されます。一方のオルタナティブデータは、何らかのサービスを提供する過程で偶然集まったデータだと言えます。
――オルタナティブデータが運用業界で注目されるようになった背景はなんでしょうか。
やはり、さまざまなデータが比較的容易に利用できるようになったことが最大の要因だと考えられます。かつて、日本国内で四半期決算の報告が義務化されたタイミングでクオンツ運用が加速したことがありました。図1にあるようなオルタナティブデータは2010年代の後半になって提供されたものがほとんどで、近年のオルタナティブデータ活用の普及拡大もそれに通ずるものがあります。
また、データ分析を行う上で欠かせないのは、コンピューティングパワーの向上や技術的なインフラの整備です。AWS(Amazon WebServices)に代表されるクラウドコンピューティングも、日本に普及したのはやはり2010年代の中頃以降です。データが外部にも公開されるようになったことに加えてデータ処理能力の向上が、運用業界でのオルタナティブデータ活用を後押ししています。
利用者と提供者だけではない オルタナティブデータの業界地図
――オルタナティブデータの利活用には、どんな企業がどのようにかかわっているのでしょうか。
データ市場が成熟している米国の状況が、より参考になるでしょう。データの利用者とデータの提供者の2つの軸に分けて考えると、利用者としてまずは運用会社やヘッジファンドなどが挙げられます。米国では大手運用会社からオルタナティブデータと運用成果に関する研究結果が発表されていたり、著名ヘッジファンドがオルタナティブデータを分析するアナリストを採用していたりと、運用業界としても活用に積極的であることがうかがえます。このほか事業会社や中央銀行でも、経営戦略や金融政策の判断材料として使われています。
一方のデータ提供者は、役割に応じて分業が進んでいます。手が加えられていない生データを保有するデータホルダー、それを加工して投資のインサイトを提供するデータプロバイダー、さらにデータホルダーと利用者をつないで販売仲介などを行うデータエージェントと呼ばれる会社も存在します。
また、ブルームバーグやリフィニティブといった大手金融情報プロバイダーも、複数のオルタナティブデータを取り扱うプラットフォームを創出し、利用者とのマッチングを手助けする役割を担っています。
日本も米国ほど複雑化していないものの、データホルダーやデータプロバイダーなどの役割を担う企業が登場してきています(図2)。
――日本のオルタナティブデータを取り巻く環境について教えてください。
公的部門にデータ分析者が豊富に存在することは日本の強みと言えるでしょう。省庁や日本銀行などにはデータ分析の専門家が揃っており、実際に日銀の調査統計局には約200人のエコノミストが在籍しています。
また2013年には東大の渡辺努教授の研究グループが、POSデータを使って消費者物価指数を毎日計算する「日経・東大日次物価指数」を公表しました。これは日銀内でも早くから注目され、2014年には公式文書にも取り上げられるようになったほどです。
一方で、日本ではデータの流通に慎重さが求められていますし、特にプライバシーに関わるデータを利活用することに対しては、多くの国民が漠然とした不安を抱いているのではないでしょうか。しかし、公的部門が政策判断のためにオルタナティブデータを使用する限り、不安は抑えやすいかもしれません。そこで作られた事例や分析ノウハウが蓄積されれば、民間企業にも応用の範囲が広がっていくでしょう。
国内の運用会社でもオルタナティブデータの活用事例が見られるようになりましたが、米国対比で差が開いている感は否めません。これには、資産規模や運用手法の選択肢が日米で大きく異なることが少なからず影響しているでしょう。資産が巨額な運用会社であれば、多彩な戦略を運用するためにオルタナティブデータを扱える人材を抱えることも可能だと思われます。
もっとも、米国はマネジャーの数も豊富です。たとえ小規模ヘッジファンドだったとしてもマネジャーに「アニマルスピリット(野心的な意欲)」が備わっていれば、他社との差別化のためにこうしたデータに注目するはずです。
翻って日本は、運用会社の数もそれほど多くはありませんし、新興マネジャーの台頭も限定的でした。しかし近年は日本においても、オルタナティブデータを使うなどして運用の独自性を打ち出す野心的な若手アナリストやマネジャーに出会うこともあります。彼らが新興ファンドマネジャーとしての地位を確立できる環境が整えば、運用戦略や手法の多様化も進むでしょう。その意味では、政府が掲げる資産運用立国の方針には期待を寄せています。
オルタナティブデータの活用は運用にどんな変化をもたらすか
――オルタナティブデータを扱う上での注意点や課題はなんでしょうか。
オルタナティブデータを分析する際には、そのデータが投資対象企業について知りたい情報を適切にカバーしているかを精査する必要があります。しかしこれには、データ分析を得意とするクオンツ運用が用いてきた分析技術とは異なるアプローチが要求されます。
クオンツ運用が主に扱うのは財務情報や経済統計などの伝統的なデータです。これらは基本的にそのデータが示す情報は信頼できるものと見なされています。しかし、先述のようにオルタナティブデータは二次的に集められたデータであり、標本設計されているわけではありません。あらかじめ設定された目的に沿って収集されているわけではないので、オルタナティブデータの中には常に何らかのバイアスが潜んでいます。
例えばクレジットカードデータであれば、カード会員である消費者の性別や年齢、居住地域などの匿名データを取得できますが、それは日本の人口統計の分布と比較すると偏りがあるはずです。そのため分析する際には、カード会員の属性情報と正解データである統計情報を比較しながら検証しなければなりません。
また、データに欠損値がないかもチェックする必要があります。例えばWebから収集したデータには、特定期間のデータが欠落していることがしばしばあります。これは、Webサイトのレイアウト変更などで、当該ページにアクセスできない期間が発生することがあるためです。このように、データの「癖」を把握した上で、それに合わせた処理方法を考えることが求められます。
――オルタナティブデータを活用することで、資産運用はどう変わるとお考えですか。
まず、ESG投資はオルタナティブデータとの親和性が高いため、企業評価においてさまざまな軸を提供できるでしょう。例えばオープンワークが提供しているような従業員の口コミデータを使えば、経営の質や企業文化、給与水準など現場の生の声
を反映した企業評価が可能になると考えられます。
ほかにも企業の取引関係を網羅するデータから、最終製品のメーカーがどのような取引先とつながっていて、どのように製造されているかを把握することができますから、人権問題への企業の対応をモニタリングする際にも生かせます。オルタナティブデータを使うことで、より広範な視点から企業の実態を把握できるでしょう。
それに加えて私が特に期待しているのは、オルタナティブデータによって運用商品の多様化が進んでいくことです。伝統的な資産クラスに対してオルタナティブ資産が存在します。当初これらをポートフォリオに組み入れる動きはあまり進みませんでしたが、今では、機関投資家の運用を語る上で欠かせないものになっているのではないでしょうか。
オルタナティブデータは資産クラスではないものの、運用手法の側面から投資家に多様性を提供できます。米国では位置情報のデータを活用して特許まで取得したファンドが存在するなど、ユニークな運用商品が登場しています。運用会社がオルタナティブデータを活用することで個性ある運用戦略を生み出せば投資家の選択肢が拡がり、それがひいては日本の資産運用業界の発展にも貢献するでしょう。