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5年前の10月27日、スペインのカタルーニャ州が独立を宣言しました。サッカークラブチーム「FCバルセロナ」や世界遺産の1つ「サグラダ・ファミリア」などが有名で、スペイン全体のGDPのおよそ2割を稼ぎ出す重要な地域です。GDPの2割とは、日本に例えると東京都に相当します。

カタルーニャ州は独立を認めないスペイン政府と激しく衝突し、独立の主導者が国外へ脱出する事態となりました。なぜカタルーニャ州が独立を選んだのか、経緯を押さえましょう。

カタルーニャが独立を宣言

カタルーニャが独立へ進んだきっかけは「カタルーニャ新自治憲章」だといわれています。それまでの自治憲章より独立色の強い内容が盛り込まれ、2006年に国会を経て成立しました。

しかし2010年、新自治憲章のカタルーニャを国家と見なした前文やカタルーニャ語の公用語化を定めた条文など、カタルーニャのアイデンティティーに深く関わる部分に違憲判決が下されます。

新自治憲章に対する違憲判決は、カタルーニャ人の反発を招き、むしろ独立機運を高めました。財務省の資料によると、カタルーニャ人の意識調査において、カタルーニャを独立国家と考える人は2011年~2012年に明確に増加し、2010年におよそ20%前後だった割合は2013年には40%後半まで上昇しました。

出所:財務省 カタルーニャ独立問題―その歴史的背景と今後の展望―

カタルーニャ州の独立への熱意は冷めず、2015年には州議会の過半数を独立派が獲得します。2017年10月1日にスペイン政府が禁止する中2回目の住民投票を強行し、9割以上が独立賛成に票を投じました。同月19日、スペイン政府はカタルーニャ州の自治権を停止すると発表し、州議会を解散させます。そのような状況で、10月27日にカタルーニャ州は独立を宣言しました。

【カタルーニャ独立問題の経緯】
・2006年8月:カタルーニャ新自治憲章が成立
・2010年6月:カタルーニャ新自治憲章に対する違憲判決
・2012年9月:祝日「国民の日」に独立支持派が大規模デモ
・2014年11月:住民投票でカタルーニャ州の独立賛成が8割を超える
・2015年9月:カタルーニャ州議会の過半数を独立派が獲得
・2017年10月1日:住民投票でカタルーニャ州の独立賛成が9割を超える
・2017年10月19日:スペイン中央政府がカタルーニャ州の自治権停止を発表
​・2017年10月27日:カタルーニャ州が独立宣言