・日本史上最悪の損失! 赤字額2.3兆円を計上…国も“激怒”した老舗企業

先日、国税庁から最新の路線価(ろせんか)が発表されました。土地の参考価格の1つで、最も高額となった「銀座中央通り」では1平方メートルあたり4224万円にもなりました。同地が首位を獲得するのは今年で37年連続です。銀座はまさに日本の一等地といえるでしょう。

銀座は高級百貨店が軒を連ね華やかな雰囲気が漂いますが、バブル崩壊時には苦しい状況もありました。特に国内トップクラスのシェアを誇った「そごうグループ」の経営破綻はその象徴となります。なぜそごうグループは破綻することになったのか、経緯を押さえましょう。

負債総額6890億円! 百貨店としては戦後最悪

そごうグループの創業は1830年です。初代十合伊兵衛(そごう・いへい)が大阪に立ち上げた「大和屋」という古着屋が祖業となりました。その後2代目の伊兵衛が呉服屋へ転換し、1919年に「株式会社十合呉服店」として本格的に百貨店経営に乗り出します。

そごうグループの躍進は1962年に水島廣雄(みずしま・ひろお)氏が社長に就任して始まりました。出店地域の土地を担保に融資を受け、そごうの出店などで高騰した地価を担保にさらに融資を引き出す手法で資金を調達し、積極的に展開します。出店は海外にも及び、そごうグループの売上高は日本一にまで成長しました。一方で水島氏は1953年に浮動担保に関する論文で法学博士号を取得しており、実際の経営でも理論を実践しました。

しかしバブルが崩壊し地価の下落が始まると担保力は低下し、資金調達は行き詰まりました。担保の価値が下落したことで銀行からの圧力が高まり、そごうグループには銀行から連続的に引き出した負債が重くのしかかります。日本全体の不況や1995年に起きた阪神・淡路大震災の影響もあり、業績にも陰りが見え始めました。

そして2000年7月12日、そごうグループは民事再生法の適用を申請し経営破綻を迎えます。東京商工リサーチによると、破綻時の負債6891億円は百貨店として戦後最悪、他業種を含めても歴代13位となる大型破綻となりました。

そごうグループは2001年2月に西武百貨店と提携し事業の再生を目指し、2003年1月には民事再生手続きを2年前倒しで終結させました。同年、そごうグループと西武百貨店はミレニアムリテイリンググループを発足させます。同グループは2006年6月にセブンイレブンなどを運営する「セブン&アイ・ホールディングス」に買収され、完全子会社となりました。